音楽って何だろう その4音楽を職業にする
 前回まで音楽を形作っている要素について、解説してきましたが、論理的な部分が多すぎると感じた人もいたのではないでしょうか。実は、あえてその様にしてみました。というのも、音楽を形作っているものを少しでも理解していただいて、(なるべく科学的に)そこには、人間の感情とか曖昧な部分の入り込む余地の無い部分を解ってもらってから、あたかも、それを越えるかのように聴こえる人間の感情表現についてお話したかったからです。
 音楽を聴いていて、涙が出るくらい感動することってあるのですね。 
 勿論それが、完璧な演奏(完璧な音楽)で、こいつは凄いや!と言う意味合いから、感動することがあるでしょうが、「涙が出るくらい感動する」というのと、ちょっと違うかもしれません。例えば、御殿の様なコンサートホールで、天にも昇る様な美しい声の唄を聴いて、思わずほろりと涙が出るなんてこともあるでしょうし、小さな子が一生懸命歌うのを見て涙が出ることだってあります。この両者には、明らかに、音楽的には極端な差があるはずです。私は、あるジャズバンドを聴いていて、サックスがお腹の底から絞り出すような音色で、音楽を展開していくのを聴いていて、ボロボロ泣いてしまいましたし、とある高校のブラスバンドのゲストで行った時、その年に入学した子供たちだけの、アンサンブルを聴かせてもらって、そのひたむきさに、涙が止まりませんでした。つい最近では、福祉センターの文化祭で、コーラスと一緒に手話の踊りをやっているのを見て泣きましたし(視覚的要素もありますが)、自分で「赤トンボ」のメロディーを弾いていて、目が潤んできて困ったこともありました。
 こういう現象を考えると、人は必ずしも、完璧なもの、完成された物だけに感動する訳ではなく、表現する方と聴く方の精神的波動が知らない間に一致したとき、聴く方に何か作用している、と言うことなのかもしれません。と、いうことは、表現する方が「完璧さ」だけを(一番は技術の問題だと思います)追求していても、聴く方との精神的波動が一致するとは限らない、ということになり、音楽を専門にやっている人にとって、ある種のジレンマがそこに発生します。勿論、ある状況で、全ての人が同じ様に感動するなんてことは、あり得ないことですから(宗教の集会ぐらいですね)一慨には言えませんが、少なくとも、音楽を専門にやっている人が人を感動させられる、という図式は余り成立していないぞ、と言うことになります。
 音楽を職業にしている人(音楽を専門にやっている人)が「陥り易い落とし穴」というのについてお話することで、このことの答えが見えて来るかもしれません。私なりに、今まで見てきた経験からお話しようと思います。
 音楽に携わる事を自分の職業(それで生計を立てようと意識したひともいれば、何となく小器用でいつのまにか、演奏したり作曲したりしたものがお金に変わっていたために、自分の仕事とした人もいるでしょう)なんだ、と言う人は、だいたいの場合、こういう事が自分の理想としている事(音楽・演奏)なのだという、イメージを持っているものです。そうでなければ、好きなこと(趣味と言っても良いぐらい)をやって暮らしていけるなんてことは、あり得ないのです。こういうもの(芸術、芸能)は極端にいうと、無くても人間は生命として生きていけるからです。あえてそんな物を、自分の仕事なのだと意識するということは、社会的に見ればとっても変なことですから。その意味では社会的判断に納得して(認めて)もらうには、それ相当の力量を持っていなくては成立しません。そして、それは技術的な事だけとは限りません。
 もう少しつっこんで私なりに音楽を職業にしている人を分類してみました。
 1、小さい時から、親、又はそれに準ずる人に、サーカスの熊の様に「調教」されて、気が付いたら、音楽を職業にしていた人(モーツアルト、津軽のゴゼさんと呼ばれる三味線弾き、民族音楽で代々その家が特権的に音楽をやることで権力から保護されてきた人などです。)
 2、1、とまで行かなくても、小さい時からお稽古事で何かの楽器を修練していて、ずるずると(そうじゃない人もいますが、多くの人は「音楽」という会社に就職している様な人が多いです)音楽を職業にしていた人(音大生の殆ど、オーケストラの半分くらいの人、某音楽教室の先生、などなど)
 3、自意識が芽生える頃、何かの機会で(今だと、テレビが多いですが、コンサート、イベント、などなど)心に響く音楽に触れることが出来て、自分もその様な音楽に携わる事を職業にしようと思って、運良く音楽を職業に出来た人(シューベルトはベートーベンの様に成りたくて一生それを貫きました、普通の大学の昔で言うところの軽音楽クラブとかジャズ研究会出身の人、演歌、歌謡曲の作曲家大先生に弟子入りして自分も先生になれた人、などなど)
 4、アマチュアで音楽活動(多くはバンドでしょう)していて、頑張って、頑張って、というのと、知らない間に、というのとで音楽を職業にしている人(ビートルズ、ユーミン、ゴンチチ、T-スクエアー、カシオペア、バンドバンドバンド後は、ほらほら、女子高生、女子中学生の方が詳しいでしょう)
 と、まあ、大きくこの様に分けられると思います。
 クラッシク界での有名所は、1と2の間。マイケル(マイクル)ジャクソン は1と3を上手に行ったり来たりですね。「美空ひばり」などは、演歌には珍しく2、に近いでしょうね。因みに私は、2から3へのトレード組で、これも結構多いのですよ。
 さて、それぞれの、性格分析をしてみますと
 1、は、何も疑いを持たずに、一生過ごせれば良いのですが、この環境で音楽的才能が凄くあったり、人間としての哲学的関心を持ってしまったりすると、どんどん内面に向かっていって結構悲劇的人生を送る人も多いと思います。そりゃそうだよね。「サーカスの熊」じゃなくて、人間ですもんね。
 2、音楽界に於けるその他大勢、裏方さんが多いです。その分音楽が「お仕事」になっていて、「ガード下の赤ちょうちん」的ヒガミの空気が蔓延する傾向にあります。もともと技術だけはありますから、音楽の職人さんと思えば良いでしょう。特にブラスバンドから音大、そしてオーケストラやスタジオで録音の仕事(音楽に於ける日雇い労働)などをやっている管楽器の人達は、殆ど「ならず者」と思って良いでしょう。冗談です、冗談です、冗談ですってば。それとお金持ちの家のお嬢様(とは言っても、日本人の殆どは中流と思っているそうですから、お金持ちの家が殆どと言うことになりますね。どうしよう。)が何時のまにか音大を卒業させられてしまって、お嫁に行くまでの間、ピアノの先生やってるというのも多いですね。勿論音楽の事、それも、余り音楽の精神的なことなど無視して、技術のことしか(それも中途半端な)考えてこなかった人が「先生」ですよ。お母さん本当にそういう人に子供を預けて良いのですか!!??最近、某音楽教室出身の人で(もしくは、まだ、そこに所属している子供たち)、音楽を聴いていて何一つ感動しない(出来ない)という人がいるそうです。その人達は音楽の素養(音感、技術)は素晴らしい物を持っているのに、それが邪魔して感動するまでいかないそうです。どういうことか、と言いますと、この人達は、音楽を聴くと、まず、今鳴っているのは、何の音で、和音はこうなっていて、リズムはこうだ、と言う音楽の構造ばかり聴こえてきて、神経がそこにしかいかないため、感動するという脳が働かないそうなのです。よく右脳、左脳なんてこと言われますが、左脳ばかり働いてしまうのでしょうね。自分が音楽に感動したこともなくても、聴く方を感動させられる、と言うことは確かにあるかもしれませんが、医者の不養生に似て、なんだか悲しいですね。人間だけが持つことの出来る感情を捨てているのですから。音楽以外の分野では、小さい時から訓練に次ぐ訓練で東大に入って、官僚になって、常識はずれな事を、ペロっとやってしまう構造と同じなのだと思います。でも、それを崇め立てているのは、皆さんなのですよ。もっと、そういう人を気持ち悪がらないと(そういう空気感を作らないと)しっぺ返しを食らうのは皆さんなんですから。ヨーーーーーク考えましょう。
 3、2からのトレード組が結構いて、一番音楽を愛しているかもしれません。でも、「贔屓の引き倒し」の傾向もあって、自分の好きな物しか認めない人も多くて、頑固者も多いです。困ったものです。いろんな物には、それぞれの良さがあるのだよ、ということを解らせてくれる人と出会うまで、もしかして、出会わなければ、音楽的にはズゥート不幸な事です。その分お金は2の次みたいな所があって、可哀想な面もありますが、本人は幸せそうに生きています。技術的には千差万別で、あまり技術が無いのに、壺にはまると凄い人もいます。だから、ちょっと見にナーンダと思える人でも、プライドは高いです。音楽に対する知識、思想(最近では死語に成りつつあるそうです)などは、百家争鳴状態ですし、長年かけて培ってきた物ですから、根本的に間違っていても、一聴に値する様な考えは持っています。まあ、聴いた後で、何か変だなあ、という印象を持たれてしまう帰来はありますが、、、、でもこういう人が、今一番必要で、愛すべき人だと思いませんか。自説を譲らない頑なさは、そのために、準備が必要ですし、そのための下調べもやるでしょうし、自分の理想とする音楽表現の為に、自律的な修練も積むでしょうし、今時こんな修行僧のような(これって、某オウム心理教と同じですよね。クワバラ クワバラ)事こそ、案外皆が敬遠している分だけ希少価値なのかもね。でも、悲しいかな、このことが、一番資本主義的経済効率と相容れない所なのですね。この人たちは、いわゆる、「時代遅れ」の謗りを受けながら、健気に生きて行くよりしょうがないですね。
合掌、、、、、、、、、。でも資本主義的経済効率よ!いい気になるなよ!
 4、に付いては殆ど何もありません。昔で言えば、歌舞伎者、モボ、モガ、ビートニック、ヒッピー、フーテン、アイドル、ジャニーズ系、、、、、、どうでも良いのです。その時代、その時代、を反映した、別にそれは本人が望むと望まざるに関わらず、あだ花なんです。どう言いつくろおうと、公衆便所的です。人がある所に集中して居住する様な「都市」空間ではこのような物が必要なんだ、ということでしょう。こうでもしなきゃやってらんねえよう、と言う空気感をうまくとらえて、儲けようという、やり手婆の手練手管が社会に進出してきて、欲望を丸裸にして、上がりをかすめ取ろうという魂胆のなせる技です。芸能に於けるオヤツというところでしょうね。現在は、それが電波に乗って地方と言うところにも、直ぐ伝わってしまうので、地方の人は可哀想ですね。本当は必要が無いのに、人口の多いところで指示されている物が何か意味があるかの様な宣伝によって、踊らされているんですね。ご愁傷様。この様なものは、流行、廃り、でしかないので、爆発的に支持されて、爆発的に忘れ去られますよね。まあ話題に事欠く人の為の、スポーツ新聞ネタと言うことでしょう。それ以上でも、それ以下でもありません。本当はそんな事は無いのに、昔のものはダサイと思う幼稚な感覚は、この大衆操作に踊らされている結果なんです。資本主義的経済効率が今一番食い物にしているのが、ここなんです。一瞬の気持ちよさが、レコード会社とか、芸能プロダクションとか、マスメディア、にお金が集まるシステムでしかない、と言うことが解ったら、虚しいことですよね。まるで、ヤクザと麻薬の関係と同じじゃないですか。ちょっと、みんな、シラフに戻ってよ。まあ、この中でも質の良い物を、前段の例として上げておきましたが。それにしても、本人達が、自分たちが、目くそ鼻くそなんだという自覚が無いと、救われませんね。ビートルズって唯一それが出来た最初で最後の芸能人かもしれません。

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