アメリカツアー面白話 12

 Connecticut州StamfordのUConnと言う大学(恐らくUniversity of Connecticutの略だと思います。)でのコンサートを最後に東海岸とはお別れして、西海岸に大移動です。楽器はプロの運送屋さんに託して運んで貰い、私たちはレンタカーを空港近くまで運んで返却してやっと飛行機に乗れます。10時55分発の飛行機にLaGuardia空港から乗るために「余裕を持って」Stamfordを6時に出発しました。ところがところが、ここからも更に珍道中が始まります。相当心臓に悪い珍道中でした。
 勿論空港までの渋滞を予想して出来るだけNew York Cityに近付かないルートで行く計画を立てて出発して順調に進んでいたら、なんと予定していた橋がトラックは通行禁止だと言うのが途中で判明したのです。違う高速道路に乗り換えるのに30分近く浪費してしまい、一同少しあわてましたが余裕を持っての出発だったので未だ心配の範囲では有りませんでした。ところが違う高速道路に乗るために下の一般道を走っていて看板を見ていると「Bronx」という文字がやたらに目に付くし、町は汚いし黒人とヒスパニック系の人しかいないし、これは相当ヤバイ地域を通行しているのでは!とそちらの方が心配になってきました。何しろ、ちょっと前までは「Harlem」地区が犯罪多発地帯で一人歩きは危険とされていたのに、町の努力で安全な地域になりました。そのかわり現在はHarlemより北西に位置する「The Bronx」が相当危険な地域になっていて、それはますます酷くなっている、と言う情報を聞いていたのです。ヒスパニック系の違法移民が大勢そこに集まるようになって、英語は通じないし、車で信号待ちをしていても危険だと言う話もでていました。そんなこんなで私はかなり不安に駆られていたら、事も有ろうにケニーさんがガソリンスタンドに入って行くではないですか!「ええ!そんな!ここでガソリン入れないと駄目なの?」と思いましたら、案の定というか何というか、私たち車が給油機のところで止まったらなんと何十人というヒスパニック系の人たちに囲まれてしまったのです。運転していた若いスタッフも外に出られずに皆で固まっていました。兎に角アメリカのガソリンスタンドは自分で給油しないといけないので、ガソリンも入れられません。どうするのだろう、と思って固まっていたら、ケニーさんは何にも気にする様子もなく集まってきた人たちをかき分けて給油しながら私たちに「どうしたの?入れないの?」と聞いてきます。「!?!?!?!?!」
「The Bronx」のガソリンスタンドで何十人ものヒスパニック系の人たちに囲まれて、どうしたらいいのか途方に暮れていたら、ケニーさんはその人達をかき分けてガソリンを入れています。そして私たちの車のところに来て、「どうしたの?入れないの?」と聞いて来るではないですか。まあケニーさんが大丈夫なのだから、と言うことで若いスタッフは勇躍決心して車から降りてガソリンを入れています。その彼にヒスパニック系の人たちはなにやら一生懸命訴えています。かなり必死になっています。ただ危害を加えたり物乞いする様子はないので安心しました。そして暫くすると潮が引くように車の側からいなくなりガソリンスタンドの外に出てたむろしています。スタッフの彼が戻ってきて言うには「彼らは仕事を探していて、このガソリンスタンドには工事や建築系の仕事に行くトラックや車が給油にくるので、仕事にありつこうとトラックが入ってくると売り込みに殺到するらしい」とのこと。ケニーさんは「あの人達は仕事が欲しいだけで悪いことはしない」と言っています。兎に角ホッと一安心です。
 さて、ガソリンもたっぷり入れていざ空港へ、ですが、その前にレンタカー屋さんに寄ってトラックを返さないといけません。これが又解りづらい所にあって、結構探すのに時間が掛かりました。空港の近くとはいえ後一時間強で飛行機は飛んでいきます。さっさと手続きすれば大丈夫と、皆で励まし合いながら待っているのですが、どうも借りるときに無かった傷がある、とクレームが付いたようです。ここは最悪全員乗り遅れるよりもスタッフの若者一人だけが処理をして、残りは空港に向かうことにしました。搭乗手続きを終えたのが30分前でそこから気の遠くなるセキュリティーチェックをかいくぐって、ぎりぎりまで残務処理をしている彼を待ちましたが最終搭乗案内には間に合いませんでした。結局ケニーさんが彼を待って遅れてLos Angelsに来ることになりました。私の人生でこれほどあわただしく、スリルとサスペンスに満ちた「午前中」はありませんでした。座席に座ったら一日が終わった様な疲れがどっと出てきて着くまで眠りました。何しろアメリカ大陸の東の端から西の端に飛ぶのですから時間が掛かります。

次へ

目次へ