アメリカツアー面白話 11
さてさて又大好きなNew York City の近くに戻ってきました。Connecticut(コネチカット)州のStamford(スタムフォード)と言う町に5日間滞在します。Connecticut州はNew York Cityで成功を収めた人が住むところ、と言われているそうですがさすがにStamfordに付くまでに大きなお屋敷に沢山出くわしました。Stamfordは都会なので住宅はあまり有りませんが落ち着いた中規模の都市という感じです。New York Cityの東側にあるのですが、日本で言えば関西の「芦屋」のイメージかな。電車を使ってNew Yorkに行くとかの有名なGrand Central という駅に着きます。(映画アンタッチャブルで出てきました)今や、New Yorkの大きな駅はテロ対策で何処にでも州兵立って警備しています。町中に兵士が立っているのは良いものじゃないのですが、どういう訳かNew Yorkの州兵は女の人が多いせいもあるのかもしれませんが嫌な感じがしません。まず兵士がリラックスしていて、表情が軟らかくて、これで警備になってるの、という感じです。その所為かお年寄りが兵士に道を尋ねている光景によく出くわしました。「おいおいこの人達はそのために立ってるわけじゃないだろ」と思うのですが、兵士の方も慣れたもので優しく道案内してるのを見ると、やっぱりNew York Cityが好きだ!と思ってしまいます。
2日間オフになったので知人の家に泊めてもらいに行くことにしました。
知人はもうずうっと長年にわたり(私が知っている限り少なくとも15年以上)New YorkのQueens(クィーンズ)という地区のほぼ中央にあるKew Gardensという所に暮らしています。JFK空港とLa Guardia(ラガーディア)空港を結ぶ道の真ん中とういところでもあります。彼は後少しで還暦になるのですが、細密画というジャンルのイラストレーターで、この分野では世界的にも第一人者と言われていたそうです。どういう絵なのかというと、医学書などで細胞の拡大図や細菌やウィルスの拡大図が出てきますが、そういう絵を描いていたそうです。日本人の手先の器用さも有るのでしょうが、ある時期まで人間の手書きのほうがCGより優れていたのですが、ついにCGに抜かされてしまってとんと仕事が減ったそうです。どの辺で抜かされたのかと言うと、CGはついに動画として細胞やウィルスが動いている様を表せるようになった事なのです。手書きの方が未だに細密画としては優れているのでしょうが、医者達も医学書を見て調べるよりコンピュータで調べることが殆どになって、それで仕事が減ったそうです。まあ減ったと言っても何かしら食っていくだけの稼ぎは有るそうです。何しろ随分若いときに今住んで居るマンションを購入したそうなので、住むところには困らないそうです。大きなリヴィングルームの他にゲストルームが二つと彼の寝室、風呂もトイレもそれぞれ二つあって、日本で言うとオクションなどと言うたぐいのものですが、こちらでは中級の物件だと言っていました。彼は奥さんと子どもを日本に残してこちらに来て、ついには離婚して天涯孤独なのだそうです。「自由気儘に生きているから最高さ」などと言っている顔から寂しそうな陰が見えてきたのはちょっと切なくなりました。だってどう考えたって、だだっ広いマンションに一人で、しかも外国で、しかももうすぐ還暦で、私なら耐えられないだろうな、と思うのでした。その夜は大いに二人で飲みました。
New York Queens(クィーンズ)の知人の家に2泊して自力でConnecticut(コネチカット)州Stamford(スタムフォード)まで帰らなくてはいけないので不安も有りますが、New York Cityで一番好きなMoMA(Museum of Modern Art)に時間の許す限り居てやろうと思って勇躍E Trineにのって5番街53丁目駅で降りて向かいました。Kew Gardens駅からは時間は掛かっても一本で来ますので楽でした。昔は犯罪と言えばNew York City地下鉄でしたが、今は全く安全です。列車の中を目の見えないおじいさんが盲導犬に引かれてお金の無心に歩いていて、案外皆さんがカンの中にお金を入れてあげているので驚きました。東京だったら誰一人関わろうとしないでしょうが、New York Cityは違っています。そしてなんと言ってもありとあらゆる人種の乗客が乗っていて、どうしたらこれほど多種多様な人種が乗り合わせ出来るのだろうと思うくらいです。そして乗客同士が気を使っているのがよくわかります。自分が誰かの邪魔をしていないか、周りに困っている人はいないか、ほとんどの人がそういう気遣いをしているのがわかります。当然スムーズな人の流れができて、車内もぎすぎすした空気はないのです。東京では自分が乗降の邪魔になっていても知らない顔をして突っ立っているし、困った人がいても知らない顔、おまけにちょっと体が触れて暴力行為、酔って暴力沙汰、最近富みに思うのは現在の日本人(中国人もマナーが問題視されていますが、、、)って社会生活が向いていないのではないかということです。昔はそれなりに都市生活をスムーズに送っていただろうし、それを美徳として誇りにしていたのだろうと思います。いつの間にか変な人たちが増えてきていて社会が壊れそうになっています。New York Cityでも一時期犯罪がひどくて(マナーがひどかったかはわかりませんが)「割れ窓」理論でそれを克服して現在があるのです。小さな「割れた窓」でもそれをそのままにしておかないで、根気良く見つけてはその都度修理して綺麗にしてそれを保つ努力をする。それを皆が賛同して小さくても一人ひとりが取り組む、そういう機運がおきないとNew York Cityのような再生はないのだと思います。あれだけ多種多様な人種(ということはそれだけの違った宗教や生活習慣があるということでもあります)の人たちがお互いを気遣いながら(尊重しあいながら)都市生活を送れるということに私たちは多くのことを学ばなくてはいけないと思いました。
さてさて、そんなことを思いながらMoMAに到着して中に入ろうとすると、警備の人が私の車の付いたキャリーバッグを指さしながら両手でバッテンマークを作って申し訳なさそうな笑顔を向けてきました。要するにその荷物を持って中には入れないよ、ということなのです。これもテロの影響です。手荷物程度ならクロークに預けられるのですが、今や小さなキャリーバッグでも持ち込み不可なのです。ああ!私の予定ははかなくも露と消えてしまいました。東京ならコインロッカーを探すのですが、ここはNew York Cityです。あきらめて帰ることにして、Grand Central駅に向かって歩き始めました。(歩くと15分近くかかるのですが、町が好きで秋晴れの日なので歩くことに決めました。)5番街を南に歩き始めると、なんとパレードが始まるような雰囲気です。そのうち何百台というハーレーダビットソンの大群がやってきました。
その日は11月11日だったと思いますが、パレードをする体制を整えた町並みに突然何百台というハーレーダビットソンの大群が押し寄せて、それぞれが派手な飾り付けや衣装を身にまとい、どう見てもお爺さんが過半数の年齢構成です。そして皆さん大はしゃぎしているし、スロットルをぐりぐり回すので、エンジンの騒音とガソリンのにおいでとんでもないことになっています。そのバイクの集団が通り過ぎるのに何分かかかって、その次に現れたのはいろんな軍隊のパレードでした。必ずブラスバンドが一緒に行進しているのですが、タイミングが悪くて曲間の打楽器だけの行進ばかりなので、少しずつGrand Central駅に向かって歩きながら見物しました。そのうちブラスバンド全体の演奏を聴けるタイミングになったので、その辺りでしばらく立ち止まって見る事にしました。普通の軍隊のパレードとは何かが違うような感じがしていましたが、まあこんな物かなと思って見ていました。(後で解ったのは、この日は「Veteran’s Day」ベテランズデーという祝日で退役軍人を労う日だったそうです。どうりで年寄りが多いなと思いました。)そのうちパレードよりも見物している人たちに目がいくようになりました。というのも、やたらに拍手が沸くし、応援の声援は飛ぶしで見物エリアが異様に盛り上がっているからです。第二次世界大戦が終わった時のNew York Cityのパレードではビルというビルから紙が舞ってものすごい状態になったという過去の写真でも解るように、アメリカ人のパレードに寄せる熱狂的な行動は有名ですから、それに比べたらまだまだですが、それでもかなり興奮して盛り上がっています。そして、「私たちはあなたたちを応援しているし、誇りにおもっている」という声援や態度を一生懸命に表そうとしています。良くも悪くも民主主義の国では軍隊ですら民衆から支持されているという後ろ盾が必要なのだと思いました。その時の大統領が間違った軍隊の使い方をしても、それは大統領が駄目なのであって軍隊は自分たちの誇りであるし大切なもの、軍隊に罪は無い、と言う考えが浸透しているようです。世界中のあらゆる旧世界からアメリカ大陸に集まってきた人たちがフランス革命に基づく理想的な社会を実現するために歴史を歩んできている、その社会を守るために軍隊がある、と言うことなのでしょう。勿論軍隊などというものは、人殺しの集団である、ということは厳然たる事実ですが、それ以上に民主主義を守るための軍隊と言う「正当性」が勝っているようです。そうは言っても第二次世界大戦以降のアメリカは「ベトナム戦争」「イラク戦争」という大きな戦争や世界中の紛争などで間違った軍隊の使い方をしていたのも事実です。幾らある種の「理想」のための戦いと言っても、「人殺し」をする以上「理想」を踏みにじっているのは明らかです。この60年の間この矛盾とアメリカは向き合ってきています。多くの理想を追い求めているアメリカ人は、民主的な手続きで選ばれた大統領が「理想」とかけ離れた戦争をする、というジレンマに悩まされているし、自分たちが豊かな生活をすることで大きな貧困を世界中に作り出している、という構造に気がついているはずです。そして個人の非力ということを思い知らされているはずです。ところが、アメリカ人はあきらめずに「理想」なるものを追い求めて次の行動を起こします。何というタフな人たちなのでしょう。
「理想」を追い求めている多くのアメリカ人は、民主的な手続きで起きてしまう矛盾に悩まされています。私などはそこで「ああ、自分ひとりが幾ら頑張って何かをやっても世の中なんて変わりゃしないよ」と思ってあきらめてしまう方ですが、アメリカ人の多くの人は、できるだけ賛同者を集めて「理想」を実現しよう、という行動をめげずにやり続けます。この精神的強さは賞賛に値します。その背景には、民主主義的な行動から社会が良い変化をしていく体験を沢山していることが大きく影響していると思います。あらゆる差別をなくしていく行動。犯罪を減少させる町の取り組み。教育環境整備への広範な取り組み。等々アメリカ的な良い変化(民主主義的前進)は見習うべき物が沢山あると思います。