アメリカツアー面白話 9

 New Jerseyのホテルから向かう先はMaine州Brunswickというところです。アメリカの一番北で一番東にある州です。11月の始めとはいえ相当寒いだろうなというのは容易に想像がつきます。乗用車2台とトラック一台のキャラバン隊は2時過ぎに出発しました。「まあどんなにかかっても今日中に着きますよ」との言葉に「まあゆっくり行きましょう」なんていいながらNew York 近辺の渋滞は織り込み済みだし悠長に構えての旅です。それにしてもNew YorkからBostonへの道はびっくりするくらい高速道路が沢山あって、それらを一般道が網の目のようにつないでいて、詳細地図を見ていると目が回りそうです。そしてそれらの道をこの近辺に住んでいる人たちは、臨機応変に渋滞を避けて縦横無尽に道筋の選定をして走っているそうです。私たちキャラバン隊もその例にならって、ちょこちょこと道筋を変えていましたが果たしてそれが正解だったかは分かりません。兎に角何処を走っても渋滞しています。私は7時過ぎにドライブインでたっぷりとステーキと食べ放題のサラダを食べた後は車の中で爆睡していました。そのレストランでも未だBostonよりはNew York寄りだったようです。
 ふと車が停車した気配を感じて目を覚ますと、大きな高速道路の休憩所の様です。アメリカはフリーウェイと言うくらいで、料金を取りません(ちょっとした料金は東海岸では取ってますが大々的に長距離の料金を取ることはしません)ので休憩所は高速道路を降りてその地域の人たちも利用できるショッピングモール形式のところが多いです。「ここはどの辺ですか?」「Bostonの校外ですね」「ほう!やっとBostonですか!やはり時間が掛かりましたね」「まあこれからはもう渋滞は無いでしょう。今10時ですから、2時か3時には着くでしょう。」という会話をしながら大きな平屋建てのショッピングセンターに入って用足しと水分の補給です。日本でも最近平屋建てで床面積が異様に広い、何でもおいてあって、商品を大量に購入する形式のショッピングセンターが見受けられるようになりましたが、まさにそれです。入り口にガードマンらしき男が何人かいて、中は全く客がいないので一種異様な感じはしましたが、夜も更けているのでこんなものだろうと思って皆の用が終わるまで店内をうろうろ見て回りました。くるっと見て回って皆が来ないので寒いけど外の方が良いや、と思って車の側に立っていました。鍵が掛かっていたので何となく回りを見渡しながら待っていると、突然パトカーのサイレンが聞こえてきて交通事故でもあったかなと思っていると、だんだん音が大きくなってヘッドライトがどんどん近付いて来るではないですか。何だろうと思ってパトカーを見ているとナント!私のすぐ側まで来てキキキキーとカーブを切ってブレーキをかけて、運転席のドアーがバーンと足で蹴り開けられ、開くが早いか鍛え上げられた警官がピストルを構えて飛び出てきました。私は何もやましいことが無いのでまるで映画を見ている様な気持ちで全く現実味が有りません。警官は私に大きな声で「ぷっちゃうてゅあへんず」と怒鳴りました。一瞬何を言われているのか分かりませんでしたが、「へんず」は「手」だろうと言うことと、寒いのでズボンのポケットに手を入れて立っていたので直ぐに「手をだして手を上げないと撃たれる」と思い、やっとこれは現実だと気付きました。続く。
 警官に怒鳴られて手を上げながら今のは「Put out you’re hands」と言っていたのだろうなと思い返していました。事態は実に深刻な状況なのに割と落ち着いていられるのに我ながら驚きました。むしろ、もし警官の言っていることが直ぐ理解できなくてちゃらちゃら手も出さずにいたら撃たれてもしょうがなかった、と後で思ってゾーーーットしたのは言うまでもありません。まあ「現場」というのはそんなものなのでしょうね。さて、手を上げている私に対して「What are you doing ?」これは直ぐに分かりました。兎に角自分は何者なのかを言わなくては!「I’m musician from Japan. We’re going to Maine for concert tour.」と通じようが通じまいが必死でしゃべりました。何とか私の言いたいことは分かってくれたようで、トラックを指さし「Is this yours ?」「Yes. My member is driving. Many instruments are inside. I’m waiting my member.」警官の顔が少し柔らかくなって「Stay here!」と言い残して店の方に走って行きました。まあこれで誤解も解けたかな、どう見たって私が悪い人には見えないだろう、なんて自分に都合の良いように考えながら、そして「やっぱりアメリカのオマワリは迫力有るし鍛えられているしカッコイイナ」なんて人ごとのように考えて皆が来るのを待っていました。
 そうこうするうちに、警官数名と一緒に皆がやってきて、私に比べると皆深刻そうな緊迫した顔をしています。トラックの中を念入りに調べられて、皆の「ID」を警官に見せて身分の確認をして貰う作業を始めます。日本国籍は二人なのでこの二人はパスポートで問題は解決。アメリカ国籍の日系の人たちとグリーンカードの日本人とは警察署に問い合わせして念入りに調べられています。後でケニーさんが言っていたのですが「私たちの誰かが、何か駐車違反でもしていたら警察署に連れて行かれて留置されただろうな。誰も違反の記録が無かったのでラッキーでした。」とのこと。さっきアメリカの警官はカッコイイと思っていたのは前言撤回で「なんて理不尽な!」と言う結論になりました。やっと疑い(この時点で何の嫌疑なのかは分かっていませんが)が晴れて開放され、私に銃を向けた警官以外は疑って悪かったねと言う態度ですが彼だけは最後まで文句有るか、と言う態度を取っていました。彼らを見送って私たちも出発です。
 移動する車の中で私以外の人たちが何をされたのか色々話してくれました。先ずは全員壁に手をついて頭を下げて両足を広げて身体検査をされたそうです。全くの犯罪者扱いです。そして私の時より根掘り葉掘り色々聞かれたあげく私の居た所に全員で移動したようです。そして肝心の何の疑いで取り調べられたのかというと、私たちが入ったショッピングセンターはこの一週間の間に3回も窃盗団に商品を大量に盗まれて、それは東洋人の集団であること。乗用車とトラックで乗り付けていること。と言うことで、特別警戒中だったところに私たちご一行様がのんきに訪れたのでした。恐らく東洋人の窃盗団は中国か韓国の連中なのですが、白人達にとって私たちも立派な東洋人です。まあ警官達も私たちが日本人や日系アメリカ人のグループと分かってからは急に柔らかくなっていました。ただあの警官だけはケニーさんが最後に「あの取り調べ方は無いでしょう。」と言うと「私たちのやり方に文句言うな!」と凄んだそうです。OH!
 ケニーさんは私と同じ年なので所謂「いちご白書」世代のちょっと後です。アメリカ映画「いちご白書」は大学生になったばかりの、女の子とロック音楽しか頭にない田舎から都会の大学に入学した青年が、少しずつ社会の矛盾に目覚めていき、恋人との関係に悩みながらも学生運動に真剣に取り組むと言う「青春の甘酸っぱい」お話です。この映画のようにアメリカの大学特にU.C.L.A.では60年代から70年代にかけて社会の矛盾に反対する、又アメリカ政府に反対するという事が学生の当たり前の感覚でした。従ってアメリカの伝統的な保守層にとっては大変気に入らない存在です。その当時の反体制の学生達の格好は、男も女も髪は肩まで伸ばしてバンダナではちまきをして、丸い銀縁の眼鏡を掛けて、裾の広がった細いジーンズと素肌に皮のチョッキという格好で、そんな格好の学生は直ぐに警官の尋問を受けます。特にケニーさんは人種的な偏見からも沢山尋問を受けたそうです。そのやり方は将に先ほどの、「足を大きく開いて壁に手を着いて頭を下げる」スタイルなのです。恐らくケニーさんはそれを思い出して嫌な思いをしたことでしょう。だから警官にも文句を言ったのでしょうが、全然取り合ってくれません。
 さてさて、後日談の一番面白い話!実は警官の中に年の若い可愛い白人の女の警官がいました。警官達の中に居るときは厳つい態度なのですが、私たちと単独で接するときは非常に愛想が良く、親切だし、最後には目で「ごめんね」をしてくれていました。まあ警官も色々だな、程度に思っていました。この後Maine州のBrunswickという町のBowdoin Collegeのコンサートでボストンの和太鼓グループと同じコンサートで一緒になるのですが、その人達からその婦人警官の情報がもたらされたのです。なんと彼女はボストンの和太鼓グループのメンバーの一人のガールフレンドで、このコンサートに聞きに来るつもりでいたとのこと。従って「ケニー遠藤」の事は知っていたはずだし例の騒動の時も途中で気がついていたはずなのです。しかし、そこはそれ、職務に忠実であれば彼女の口から取りなすわけにもいかず、恐らくあの優しい態度がせめてもの彼女のお詫びの印だったのでしょう。結局彼女は用事が入って来られなくなったと連絡が入ったそうですが、どう考えても合わせる顔が無い、と言うことだと思います。私たちは是非会ってその後の話を聞きたかったのですが、残念です。まあ、それにしても、アメリカでも「世の中狭いよね」ってしみじみ思ったのが最高の体験でした。
 ところで、Maine州のBrunswickはさすがにカナダに近いだけあって寒いのです。名物はロブスターとのこと。町外れのFairfield Inn(アメリカ中にこのホテルがあってビジネスホテルとしては一番目に付きます。)と言うホテルで3泊しましたが、高校の校長をしていたと言うフロントのおじいさんがとっても親切にしてくれて、最後の夜はロビー近くの食堂をボストンの和太鼓グループとの打ち上げの宴会用に開放してくれて楽しく過ごしました。彼も宴会に参加して、あまりうるさくなると「シーッ」と注意してくれます。英語でも「シーッ」なのは驚きましたが。当然一番盛り上がったのはショッピングセンターの騒動のことで、婦人警官の話題は何回も出てきて、でも最後は「彼女に親切にしてくれて有難うって伝えてね」で終わりました。

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