アメリカツアー面白話 8
 
 さて、University of MarylandのDekelboum Concert Hallでのコンサートも大盛況のうちに終えて、10月29日にPennsylvania Philadelphia Chestnut Hillと言うところに移動して4日間の滞在になります。コンサートは一本ですが、ケニーさんのワークショップやクリニックが沢山入っていて和太鼓以外の人たちはしばしの 休養がとれます。同じホテルに滞在なのでのんびり出来てほっとしました。前々回にKeswik Theatreでのコンサートに音響、照明、舞台を少数精鋭で短時間でやり遂げていた、と言う話をしましたが、その場所です。
 Philadelphiaの校外(すごく校外で都心に出るには車で30分はかかります)のChestnut Hillと言うところにホテルがあります。ちょっとした丘陵地帯にある町並みですがこぢんまりとした住民に必要な商店がほどよく道沿いにあって、しゃれたレストランも沢山あってそれぞれがせいぜい3階建て程度の建物で、道は石畳で、とオーストリアとかスイスの町並みにそっくりです。恐らくルーツをたどるとそういう国からの移民が集団で入ってきたのでしょう。何しろPhiladelphiaというのは、日本の京都みたいなものでアメリカ合衆国発祥の地と言うところですからその歴史的経緯からもヨーロッパの色合いが多く残っているところです。
 KeswikTheatreはそのホテルから車で15分くらい走ったところのやはりPhiladelphia校外のGlensideという街にあります。これが何ともすごい劇場で出来てから100年とは言わないけれども、歴史が随所に感じられる劇場です。私が子どもの頃田舎町にあった映画劇場を彷彿とさせる古さですが、作りは石造りですごく立派です。オペラも出来ちゃうかもしれないくらいの作りで、恐らくオペラはともかく昔はボードビルショウなんか良くやっていたのだろうなと言う雰囲気です。そして、この劇場は立地的に都心の客じゃない層も呼び込めるらしくて、最近の出演者を見ていると有名な人のコンサートが目白押しです。ジャンルもポップスから、ジャズ、ロック、演劇と幅が広いです。ツアーを組む流れの中に組み入れられる場所の様です。東京近隣県のホールと思えばわかりやすいでしょう。それにしても、その建物の古さと出演者が現代の最先端の人気者なのでそのギャップに驚きます。現在の日本は役所の勝手な都合で立派なぴかぴかしたホールがいたる所に出来ていますが、古いホールに宿っている目に見えない歴史が出演者にも、聴衆にもある種の心構えを作ってくれる、と言うことを忘れてはいけません。土建屋さんも有る程度儲かって貰わないと困りますが、それで「魂」が葬られていくのは如何なものでしょう。
 コンサートは早速次の日にあります。そこで前にも紹介した屈強な音響、照明、舞台装置を少数精鋭でやってしまう集団の登場です。寒いのにタンクトップを着ていて、腕の太さが腿くらいあってちょっとした入れ墨があって、頭はそっていて髭があって、皮の作業手袋をしていて太っているけど全部筋肉だ!みたいな人が主に音響を担当していて(勿論手が空けば他の作業もばんばんこなします)その男がコンサートが終わって片付けている時私の方に来て少年のように目を輝かせて「Great!」と言って握手を求めてきたのには思わず笑ってしまいました。
 10月30日にコンサートが終わって、次の31日はアメリカ人が宗教行事なのに馬鹿騒ぎする日です。ハロウィンです。この日なんとフィラデルフィア交響楽団のコンサートチケットを私たちのコンサートの招聘元が進呈してくれるとのこと。ヴェリゾン・ホールでの「ハロウィンコンサート」?!?!?らしい。ナンジャイナ!と思いながらもアメリカの3大オケと称される管弦楽団は聞きたいので出かけることにしました。何しろフィラデルフィア交響楽団とストコフスキーの指揮で「オーケストラの少女」と言う映画が有名になって以来その地位は揺るぎないものになっているのです。中心街の大きな建物の中に大きなホールが有ります。ここでの演奏会の予告は建物に大きなポスター(馬鹿でかいです)が張り出されていますが一際目を引いたのはヴァイオリニストの五島みどりさんでした。日本にいるとなかなか分かりませんが長年にわたってアメリカでは絶大なる人気を博しているようです。
 さてホールに着くとそこには仮装して(かなり金がかかっている)着飾った観客が集まっています。なるほど、ハロウィンコンサートにはこんな馬鹿騒ぎをして聞きに来るものなのかと納得してプログラムに目を通すと「はげ山の一夜」等のお化け関連の曲がラインアップされています。だんだん意味が分かってきてステージに目をやると、打楽器奏者はだいたい本番前からステージで調整しているものですが、その連中までもが仮装しているではないですか。要するに演奏する方も聞く方もおふざけをするコンサートだったのです。しかも「オカマ」(当地では結構有名らしい)の司会とコメディアンによる寸劇付きで、相当どたばたしたコンサートです。指揮者は怪傑ゾロの格好をしているし、楽団員全てが思い思いの格好で仮装しています。日本人には過剰すぎる悪ふざけに見えますが、全体がそうなのでだんだん慣れてきます。まあ演奏の質を云々するコンサートではないことが分かって、それなりに楽しみました。こんな馬鹿なことを天下のニューヨークフィルもやっているとのことで、アメリカのサービス精神は「疲れを知らない」ことにあらためて思い知らされました。それはそうと先ほど五島みどりさんの話をしましたが、このオーケストラのコンサートマスターも韓国人の女の人でした。しかもおなかに子どもがいるのに頑張っていました。かように今や東洋人の特に女の人の活躍に目を見張るものがあります。この現象は何なのでしょうね?21世紀は女の世紀なのかもね。
 次の日はフィラデルフィア観光に繰り出しました。先ずは面白い所に行こう、と言うことで現地の人に聞いておいた「面白い」所、「チーズバーガー」戦争地域に出かけました。フィラデルフィアのかなり危なそうな地域を過ぎて汚らしい街全体がイタリアの移民で構成されている地域に来ました。鋭いバッテンで交わる交差点の道を挟んで鋭い三角の角を突きあわせたようにハンバーガー屋が2件向かい合って立っています。それぞれが「元祖」を競い合っているそうで、なんだか昔日本のラーメン屋も同じように競い合いをあおって結果として両方に客が増えた、と言うことがありましたが、それのアメリカ版です。味は体に悪そうなものでした。
 Philadelphiaでの「チーズバーガー戦争地域」の見学の後はおきまりの市内観光をしました。アメリカ合衆国発祥の地という事で観光スポットが何カ所か有って京都の様な所と思えば良いでしょう。学校で歴史を詳しく勉強したアメリカの子どもには興味深いものなのでしょうが、私のようなものにはそれほど面白くはありません。むしろ、建物に入るたびに対テロ対策のための手荷物検査があるため、うっとうしいことこの上ないのです。まあアメリカ全土がそうなのでかなり慣れましたが、これも今のアメリカの日常として皆おとなしく従っています。
 Philadelphiaで鋭気を養って、いよいよ東海岸を北に向けてのツアーが再開です。とは言っても先ずはフィラデルフィアから直ぐのNew Yorkまで電車で1時間のNew Jerseyのホテルに泊まります。ケニーさんのNew Yorkでのワークショップのついでにほかのメンバーは宿泊費を安く浮かしてNew Yorkで楽しもうという計らいです。実はケニーさんはハワイ在住の和太鼓奏者ということで、所謂「自然派」ミュージッシャンと思われがちですが、ジャズが大好きで、大都会のごみごみした喧噪が大好きという「都会派」ミュージッシャンと言う側面も持っています。そういうことからこのツアーでは北に向かう途中で一日New Yorkで遊ぶ機会を作って、又南下してきてNew Yorkによって遊ぶ日を設定していたのです。どうやら、ツアーの時は必ずそういう日を入れているようです。かく言う私も大のNew Yorkファンですので今回は2回もチャンスがあって大喜びです。
 一回目のNew Yorkは一日だけなのでNew York在住のケニーさんのお弟子さんが面白そうな店に連れて行ってくれました。11月初旬のこの時期は1年で一番気候が良い「インディアンサマー」から冬に移行する時期でめまぐるしく天気が変わるそうですが、この日は「インディアンサマー」そのままの過ごしやすい日です。3時過ぎに電車でPenn Station(Pennsylvania Stationという意味らしいです)に着いて地上に上がると、もうウワーッとNew Yorkです。摩天楼が覆いかぶさってきて、人が沢山居てあわただしくしていて、都会ならではの喧騒が聞こえて、将に都会の中の都会です。世界中に色々な都市があるにしても、やっぱりNew Yorkのような都市はここにしかないのです。人種が千差万別で、その人たちがある種の秩序の中で、自由におおらかに活気の有る空間を作っていて、それでいて生活感がまったく無い、将に「何処にも無い場所」が現実に在るという感じです。居るだけでわくわくします。
 遅い昼食を摂って、歩けるところは沢山歩いて、ケニーさんのお弟子さんが最近話題のお店を案内してくれて、あまり有名じゃないジャズクラブであまり有名じゃないのにものすごい演奏をする人たちの(しかも皆さん50代以上)ライブを聞いて、立ち食いそばやのようなピザ屋で大きなピザを食べて、あっという間に深夜になっています。New Yorkは24時間地下鉄が動いているのは有名で皆さんご存知でしょうが、それに連動して郊外へ行く列車も24時間動いているので(一時間に二本程度ですが)New Jerseyのホテルに帰りついたのは4時前でした。次の日は昼頃まで寝ていていよいよ北へ向けて出発です。一番面白いことが待ち受けています。

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