序章

 先ず最初に結論から言います。アメリカのボストンにある「バークリー音楽「大学」専門学校」を源流とする「ジャズ理論」はゲーリーバートン達の即興演奏時におけるアイデア集程度のものである。
 今まで専門学校程度の授業で「バークリー音楽「大学」専門学校」を元にする「ジャズ理論」が語られているのは、それほど問題では無かったのですが、近年大学の授業にこの理論がはびこりつつあるそうなので異論を唱えておかないと、と言う気になりました。後でも書きますが、いかにもファーストフードが好きなアメリカ人がもっともらしく音楽学の体裁をとったとしか思えない「バークリー音楽「大学」専門学校」の「ジャズ理論」のイカサマ性をあぶり出そうと思います。
 数学的に(論理学的に)理論というのは少数の例外を認めつつも(限りなくゼロに近い物ほど優秀とされる)個別の事象をを抽象化して「一般的にこうである」と説明するときの道具であると認識します。その意味では「バークリーのジャズ理論」は全てのジャズを説明できていないどころか、現代ジャズの門を開いたチャーリーパーカーの即興演奏すらも説明できないのです。
 そもそも「ジャズ理論」などと言うのは何なのでしょう。私は実体の無い物にあたかも実体があるかの様な粉飾を施した物と思っています。要するに「まがい物」です。勿論この時代まで綿密に精査され今でも改良を施されている西洋学術音楽の「和声法」「対位法」ですら体系化出来るのはワーグナーまでと考えられます。それ以降の作曲家は同時代の作曲家に微妙に影響されつつも「一国一城の主」として理論を構築しながら作曲活動をすると言う過酷な人生を歩んでいます。所謂「ジャズ」も西洋学術音楽を追体験するかのように、多様な音楽になっています。それは民族音楽の要素まで取り入れて、もはやあらゆる物を飲み込んでしまうかの様ですが、その実極端な「マーケット音楽」ですから「売れた物」が残って行くと言う単純な構造になっています。要するに、売れるために色んな物をぶち込んでいる、と言う側面も有るのです。その意味では「ジャズ理論」などは無くて、「オシゴト」するときに必要な「業界用語」が定着してきたので、それをまとめたものと考えるべきです。だって「バークリー音楽「大学」専門学校」の「ジャズ理論」では「チャーリーパーカーの即興演奏」を満足に説明出来ないのだから。私は「チャーリーパーカーの即興演奏」の構造がはっきりと分かったのは音楽の友社刊「和声 理論と実習 ・」の転位音、変位音の考え方でした。「バークリー音楽「大学」専門学校」の「ジャズ理論」では恐らく「アプローチノート」として説明されている部分がそれにあたるのでしょうが、むしろビックバンドのアレンジ法として語られている側面が大きいです。まあ細かい点はこの後詳細に点検していきますが、兎に角「消費者はバカ」で「ファーストフード」が好きで「学校経営が第一」の重要課題で、と言うアメリカを具現している「バークリー音楽「大学」専門学校」を筆頭とする「ジャズ理論」なるものがいかに学問として体系化されていなくて粗雑な物かを証明していこうと思います。

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