音楽って何だろう その35
 前回E音会ハンドベルクラブが、存続出来るかどうかの所に来ている。と言うことで終わりました。そして、E音会の趣旨を「大人が、子供達と何かを一緒にやって行こうと思うのは、大人と子供の良い関係を作りたいからです。そう言う良い関係を順繰りに作って行きたいのです。なぜなら、やがて子供は大人になるからです。」と言う文章に込めました。
 私の持論に、「社会」を持つ動物の本質は皆同じだ、と言うのがあります。最近新聞に杉山幸丸さんと言う霊長類学者が「集団から隔離されて人間に飼育されたサルは、我が子を殺すことがある。」「他のサルから隔離して育てられると、子育てばかりか、挨拶さえもできないサルになってしまう。挨拶が出来なければどうなるか。集団に入れた時、同じ年ごろのサルと調和のとれた遊びができず、一緒にいるだけで誰とも無関係に行動しつづける。衝突しても力の抑制がきかない」そんなサルは「自分の赤ん坊に対する適切な行動をとれない。乳を飲む我が子を胸から引きはがし、泣き叫ぶ赤ん坊を地面にたたきつけ、死に至らせることさえある。授乳も育児も社会生活であり、学習を必要とする文化的行動なのである。」と言う事を書いていました。そうなんです。社会生活をする動物は、集団から生きていく術や調和の取り方を学習します。これは人間も同じです。八潮を中心にした地域(集団)で大人と子供が調和の取れた関係を音楽を通して持ちたいと思って活動を始めたのが「E音会ハンドベルクラブ」だったのです。
 そして、丸山先生は最後に「現代の人間社会は、少産多保護の極限まできている。そこでは、親子兄弟に始まる他人との衝突や競り合い、協力やゆずり合いを通じた付き合いが減ってしまった。大きな社会の中で社会生活を営んでいるように見えながら、じつは隔離飼育されてきた子供達が、他人を顧みないで自分の生活を最優先する親になってしまった。」と結んでありました。そしてそれは「滅亡への道」であると言っています。
 前回私は子供達に対して問いかけをしました。まだまだ、これはクラブにとっては大きな「宿題」だと思っています。そして今回は、クラブの子供達の保護者の皆さんへの問いかけになっていると思います。丸山先生の言う「他人との衝突や競り合い、協力やゆずり合いを通じた付き合い」を「学習を必要とする文化的行動」として子供に保証しているでしょうか。(保証するというのは、「与える」のとは違う行動として考えます)「隔離飼育されてきた子供達が、他人を顧みないで自分の生活を最優先する親になってしまった。」状態から少しでも改善しようと思っているでしょうか。子供達は、親でも先生でもない、「集団」の他人・大人と日常的に「サルの挨拶」と同じ関わりを持たなくては、社会は成立しなくなります。今、いみじくも、電車絡みの殺人事件が続いています。本当なら、殺人事件になんてなりそうも無い、ささいな事が原因です。「衝突しても力の抑制がきかない」を将に地でいっている事件だと思います。そして、幼児虐待も目に余る物があります。本当に「滅亡への道」を歩き出しているかの様です。
 又、団地という「集団」は、見せかけやアリバイ作りの行事をする事で、何か「親睦」と言う訳の分からないものを得ることが出来た、と満足しています。日常的に「サルの挨拶」と同じ意味の子供と大人の関わり合いがなくては何にも意味がありません。ノンベー親父の自己満足の場をアリガタがれ、と言っているようなものです。
 そして、私は、塾やお稽古事に子供を預ける(任せきりにする)のは、「集団」がする「学習を必要とする文化的行動」とは、およそかけ離れた行動だと思っています。むしろ「隔離飼育されてきた子供達」を作ってしまうだけだと思います。最初に書いた「E音会の趣旨」で言った通り、子供と大人が一緒に何かに取り組む事が人間における「集団」のする「学習を必要とする文化的行動」だと思います。
 保護者の皆さんも「集団」を作っている当事者です。我が子以外のクラブの子供達にとっては「集団」の他人・大人なのです。「集団」を作っている当事者が「集団」の他人・大人として子供達と関わりを持たない限り「滅亡への道」を皆さん一人一人が作っている(歩むなんてものでは無く、作って皆を歩かせている)のです。E音会ハンドベル「クラブ」は塾やお稽古事ではありません。預ける・任せると言う事ではクラブは成立しないし、そんな状態になってしまった「クラブ」は止めてしまった方が良い、とさえ言えると思います。
 如何でしょうか。保護者の皆さん。地域(集団)の皆さん。
 勿論私は「クラブ」を止めたいとは思っていません。できることなら子供達が大人になって良い関係をそのまま引き継いでくれる事を望んでいます。そして、それを、生きているうちに体験できたら幸せな人生の幕引きを迎える事が出来ると思っています。非常に個人的な願望ではありますが。
 そんな風にE音会は何をしてきたんだろう、とつらつら考えていると、止めるにしても、続けるにしても、E音会ハンドベルクラブの財産は随分有るんだな、と言うことに思い当たりました。 物理的なものでは、皆さんが品物を持ち寄って、一生懸命売ってくださった青空市での売り上げで買ったベルのセット。なんと、今銀色のベルが4セット(1セット10万円くらいです)金色のベルが3セット(1セット4万円3千円くらいです)恵比寿ガーデンプレースの出演時に揃えてもらったユニホーム(一説によると60万円かかったとの事です)。トンデモナイです。
 しかし、それ以上に大きい財産は、物ではない
 色んな場所での演奏でE音会の活動を知ってもらった事。特に子供と大人が一緒に取り組んでいる趣旨を分かって頂いて、感動して頂いた事が沢山有りました。
 色んな人達と出会えた事。色んな演奏家との共演。障害者の人達との交流。違う学校での交流。違う地域へ行って不特定多数の人達との交流。何より、クラブの中での違う学校・異年齢の人達との出会い。(これは、前回子供達への問いかけにあった様に、全て上手く行くとは限りません。でも、大きな傷を残す前に、「お休み出来るクラブ」と言うのが大事です。いい点を取る、試合に勝つ、コンクールに優勝する、等々の目的を持って活動するクラブは、それだけ、人との関わりでしわ寄せが多い事と思います。E音会の大きな課題でも有ります。何時もE音会の趣旨・目的は何?と問いかけながら活動しなければなりません)
 いつも、コンサートや発表の場に来て下さる、地域のファン?の皆さんの応援。「上手になったね」「今度何時やるの」「ちょっと会わない間に大きくなったね(子供達が)」等々色んな事を言って下さいます。こうして見守って下さる人達が地域(集団)にいらっしゃるというのは励みにもなりますが、それ以上に、E音会の活動が切掛けになって人の輪(調和)が出来ていると言うことに、あらためて凄いことだなと思います。 特に、お婆ちゃんたちが応援してくれているのには、心強さを感じます。因みに私の母は八潮に移り住んで、未だ丸二年経ちませんが、ハンドベルクラブの演奏を非常に気に入って楽しみにしています。母も少しずつ地域にとけ込んで、お仲間のお婆ちゃん達と応援してくれています。
 先ほどの話に関連させれば、こういう暖かい応援を受けられる為に、そしてそれを目的にして練習することで得られる物は、どんな賞状や優勝カップをもらうより嬉しいことだと思います。人前で何かをする事、は人間の「学習を必要とする文化的行動」でもあります。それを、日常的に取り組んで、順繰りに伝えて行くのは将に「集団」でなければ出来ません。
 と、物理的財産に比べたら、何百倍、何千倍の、いやいやそんな生やさしい数ではでは無いくらいの価値の有る財産を蓄積してきました。この財産を捨てるのはもの凄く簡単です。これを維持して、更に上積みしていくのは、非常に大変です。私の思いはここまでで全てです。あとは、E音会ハンドベルクラブの人達と、子供達の保護者の皆さんが、この財産をどのくらいの価値として考えるかだけだと思います。多分、クラブの動向はどうであれ、私のコラムはこれを持って終わりになると思います。長い間有り難う御座いました。           
  
           

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