音楽って何だろう その32
 さて、いよいよ本番前の音合わせになりました。最高の天気に恵まれて予定通り屋外での演奏です。テニスコートをステージに見立てて、設営が進みます。
 この日最高に面白かったのは、何と次の日「南こうせつ」の野外コンサートを同じ施設でやる事になっていて、その音響スタッフが前日から設営していて、大音量でチェックをしています。そのうち、何だかコヂンマリしたステージがテニスコートに出来てきて、こちらもゲネプロを始めたものですから、(富良野の楽器屋さんがご好意で音響を担当してくれました。)恐縮して「済みません、後30分ほどお時間良いでしょうか。」と聞かれました。幾らこちらがアマチュアでも、ちゃんと仁義をわきまえているので、許してあげました。フフフですね。
 いよいよ、交流コンサートが始まりました。テニスコートのステージを西向きに作ったので、丁度夕方の西日が自然の照明の役割をしてくれています。夏は北に行くほど日照時間が長くなります。白夜を考えればお解りでしょう。半分くらい過ぎた頃今度は、山に沈む太陽が赤く出演者を照らします。自然が最高の演出をしてくれています。ただ残念だったのは、始まって直ぐ、いたずらな風が客席からステージに向かって吹き始めて、ベルの演奏者同士がお互いの音が聞こえづらく、しっくりかみ合わない事が有りました。でもベルだけの演奏じゃないときは良い演奏になりました。この日は、ベルの演奏も良かったのですが、E音会の子供達も感銘を受けた出演グループが有ります。「松田ファミリー・アンサンブル」です。富良野西病院の院長(未だ若い人です)の松田さんの家族が合奏をするのですが、松田先生がコントラバス、奥様がピアノ、長男がチェロ、長女・次女がヴィオリンという編成です。長男と長女の人は東京の学校に来ているので参加出来ませんでしたが、次女の演奏は其れをカバーして余りある立派な物でした。はっきり言って松田先生は努力の成果が余り出ないのですが(でも音楽は暖かいです)奥様の愛情溢れるピアノに支えられて、女の子(恐らく小学校3年生だったと思います。兎に角体が小さいのです)のヴィオリンを演奏する様は、まるで「天使が降りてくる」と言った風情です。私も混じって私の曲「聖なる丘に天使が遊ぶ」を合奏したときは、涙が出てきて困りました。札幌に向かう帰りのバスでも、中学3年生の間で「松田ファミリーイイーー!!!!!」とひとしきり話題になっていました。
 そして、計った様にコンサートが終わった時完全に日の光が途絶えました。自然と共に演奏が出来たコンサートでした。
 コンサートの後は、富良野の人達との交流会ですが、この時も傑作な事が起きました。この日ロータリークラブの有志のお父さん達もハンドベルの演奏をしたのですが、異様に緊張していて(こういうのを必要のない緊張と言います)、コンサートが終わったとたん開放感に支配されたのでしょう、自分達だけさっさと交流会の会場に行ってしまい、がやがやと乾杯して、その日一番のご馳走だったバーベキューのタラバ蟹をたいらげてしまったのです。その時、E音会のメンバーも市民楽団の人達も一生懸命後片づけをしている最中でした。E音会の皆が交流会に参加した時には、お父さん達はワイワイガヤガヤともうすっかり宴会していて、蟹は殻だけ残っていました。取り仕切っていた、日里さんの怒る事怒る事。「東京の中学生も非常識だと思ったけど、(夜中の大騒ぎの事を言っています)富良野のお父さん達の方がもっと非常識だった!」ですって。さすがに、ロータリクラブの中では日里さんは若い方なので、面と向かって文句は言えません。そして、直ぐに蟹を追加注文して、やっとE音会の人達の口に入りました。この時のお金はどうなったのか、怖くて聞けませんでした。後日談ですが、この年のロータリークラブのクリスマス会に私を呼んでくれたのですが、同じメンバーのお父さん達は又ハンドベルの演奏をしました。夏の事を反省したのかどうか解りませんが、立派な態度でした。そして、私は又、松田ファミリーと共演させてもらって、この時初めて聞く人も居ましたので、皆さん一様に感動していました。松田さんのお嬢さんは夏よりもっと沢山の天使を降ろしていました。 続く。           

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