音楽って何だろう その20

 さて、いよいよコンサート当日になりました。梅雨前の5月下旬で上々の天気に恵まれ、誰一人体調を崩すこともなく、チケットも前売りがかなりさばけていて、さすがに、スタッフが皆、一生懸命準備に頑張った甲斐があったと言う清々しい気持ちでした。後はコンサートの中身だけです。
 ゲネプロも時間通りに始まって、さあやるぞ!と言う気持ちがみなぎった時、「照明が低くて楽器に悪い影響がでるので何とかして欲しい」と言う要望が弦楽四重奏側から出ました。確かにその通りでして、多分、200年前くらいに全て木材で作られた、実にデリケートな楽器ばかりです。しかも、今、何千万円もする物ですから、それはそれは気を使って当然な楽器なのです。
 早速、その旨照明の人に伝えて「照明を上に上げて下さい」と頼みました。ところが、いつまでたっても、上に上げてくれる気配が有りません。当然、照明の問題が解決しないとゲネプロは始められませんので、「早くして下さい」と何度も頼みました。だんだん焦ってきます。私は今までホール側に何かお願いして、事情が分かって下されば大体善処してもらってますので、何でこんな事くらいで手こずって居るんだろうと思いました。それと、楽器をステージに搬入しているとき、「どうせ、お前ら、、、」みたいな態度を取られました。主催が「八潮の子供達に良い音楽を聞かせる会」という名前なので、舐めてかかって居るな、と思いましたが、その時は我慢しました。そういう経緯もあって、私もだんだんイライラがつのってきて、「一体どうなっているのですか」と声を荒げて聞きますと「舞台の照明効果が出ないので、これ以上あげられない」と言う答えです。「そんな事は、どうでも良い!楽器最優先でやってくれ。大体、楽器が壊れたら、あんた弁償出来るのか!一台何千万もするんだぞ!」遂にキレてしまいました。
 今度は、照明のおじさんが「そんな事言うなら、オレは照明やらない」と言い始めました。私も照明係無しで良い、くらいの気持ちになっていましたので、将に膠着状態が始まりそうです。この時、制作を担当してくれていた、バックステージの西田さんはさすがに偉かった。「そう言わないで、、、」と何度も頭を下げてくれたのでした。そのおかげで、何とかゲネプロを始める事が出来ました。後で聞いたところによると、どうやら、そのおじさんは、昔大きな劇場の照明係を長年やっていて、その後「きゅりあん」専属の照明担当になった様です。おじさんとしても、相当プライドを傷つけられたようです。その話を聞いて、私もちょっと反省しました。職人さんはそう言うモンだよなと思ったのです。後日談ですが、次の年ハンドベルクラブを交えたE音会コンサートを同じ場所で行った時、先ずは、一番に会場のスタッフに菓子折をもって行き「宜しくお願い致します。」とお願いして、ステージ上では子供達が、ゲネプロの始まりと終わりに「宜しくお願い致します。」と大きな声で言いました。照明係は同じおじさんでしたが、非常に気持ち良さそうでした。この時のコンサートでは、スライドで絵を映したりしたので、おじさんの力は絶大な物でした。さすが職人と言う感じです。何事も最初の挨拶が大事ですね。
 さて、最初でトラブったものの、ゲネプロも、本番も、スムーズに進行して、それはそれは関わった人達全員が、「やって良かったね」と言うコンサートになりました。終わった後からも、「凄く良かった。何処でも聞けるコンサートじゃ無いので、感動した。しかも、子供が入れるコンサートで、こんなに良い内容の物はなかなか無いので嬉しかった」という意見が多く寄せられました。こういう、感想が後から寄せられると、色んな苦労が本当に報われます。今思えば、よくぞあんな大それた事を、と思うほどの事でした。この場を借りて、今更ながら東さん、清水さんはじめ、多くの関わって下さった人達にお礼を申しあげます。
 と、ここで終わってしまわないのが、良いのか悪いのか。浜田と東さんはこのコンサートの後、「聞かせるだけじゃなく、自分達も演奏に参加出来る会にしたい」と言う思いを具体化して行くことになります。それが「八潮の子供達と良い音楽を作る会」の結成です。 続く  

次へ

ホームページへ