音楽って何だろう その18

 さて、「八潮の子供たちに良い音楽を聞かせる会」を立ち上げたまでは良かったのですが、次の年のコンサートに向けて、何から手をつけてたら良いのか、、、、とりあえず問題になりそうな所から整理して検討を始めました。
1,地元での小さなコンサートと違ってホールでコンサートを制作するのは、素人にはかなり困難である。プロのお手伝いが必要である。
2,会場の定員が300人で、果たして自分たちだけで宣伝したり、チケットの販売は出来るのだろうか。
3,子供は何歳から入場出来るようにしたら良いのか。出来るだけ年齢を下げたい。
という問題をどうしようか、という所から考えました。
1,に関しては、浜田の知り合いで、昔、吹奏楽連盟で理事をやっていて現在は自分の事務所(バックステージという会社です)でコンサートの制作等々の仕事をしている、西田さんという人にコンサートの制作をお願いすることにしました。中学、高校のブラスバンドのお世話をしていただけあって、私たちの趣旨を良く理解して下さって、随分親身になって相談にのって下さいました。又、事務所が発行している、会報でも宣伝して下さって助かりました。
2,何とか、公の機関が支援してくれないだろうか。例えば教育委員会、そして、アメリカの音楽家との交流コンサートなのだから、国際友好協会などの支援を仰げないだろうか。その交渉をするべく行動を起こすことにしました。
3、に関しては、兎に角、親子で聴きにきてもらう。原則は小学生以上にして、静かに聞ける子は就学前の子供でも個々の相談に乗る。コンサートでのマナーも親に教えてもらおう、と言う事になりました。わざわざコンサートに足を運ぶ事で、親子が始まる前のお約束(躾)終わった後の感想(会話)というコミニュケーションは日常の中で持てそうで持てないものです。
 早速2,の事で行動を起こす事になります。西田さんにもお手伝いしていただいて先ず教育委員会にお伺いしました。
 私たちは、質の良い生の音楽をなかなか子供たちが聴きに行けるコンサートが無いこと、アメリカと日本の音楽家が言葉の壁を乗り越えて音楽で交流を持つこと、地域に密接した活動の事など、今までの活動(殆ど東さんたちの活動)の資料を見せながらご支援をお願いしました。
 それに対する対応は見事なお役人流でしていただきました。まず内容に対して何の応答も無いまま、「入場料が発生しているのは、ちょっと、、、、」「でも、会場費、出演料、チラシ、等々の経費から逆算した入場料で、収益はありません。運営はボランティアでやっています。」「でも値段が高い」「幾らだったら宜しいのでしょうか」「まあ、500円ぐらいですかね」「、、、、」「それと、八潮という地域に限定しているのは困ります。品川区全域でということなら」「でも、地域に密接した活動じゃないと地に足のついた活動は無理ですよ」「一応私たちはそういう原則で決めています」
 これ以上お話しても無駄だと思いました。せめて推薦してくださるかなと思っていましたが、とりつく島がないとは、将にこの事なんでしょう。教育委員会が支援しているコンサートに「これって子供の為のコンサート」と思うものがあったり、「こんな、いかにも音楽のお子さまランチみたいな事やってどうするの」と思うものが有ります。結局内容より、役所の条件に合うか合わないかで決めるので、そういうことになってしまうんだろうな、と思いました。市民レヴェルから何か事を起こすのが育ちにくい環境の原因がこんな所に有るんだろうな、と良い勉強をさせてもらいました。でも、教育委員会って何なんでしょうね。
 見事に教育委員会に振られた私たちは、次に国際友好協会との交渉に入りました。ここは、教育委員会とは又趣が違って、何処まで国際交流をしているのか、をポイントに交渉する、という手続きでした。
 この団体の、主な仕事は、ホームステイ、スポーツ団体の親善試合、音楽団体の交流、と言うことのサポートでした。
 そう言う意味では、私たちの目指している目的は将にジャストフィットですので、後はE音会の背景に問題が無いのかと言うことが交渉の主な物でした。勿論、問題が有ろうはずもないのです。 
 只、この交渉の中でもチケットの額が問題になりましたが、流石に、浮世離れしていなくて、教育委員会の時と同じ説明をしまして、少々手こずりましたが最後は納得していただきました。
 実際問題、区の施設の使用料を高額に設定して置いて、民間団体が子供達の為に何かしようと考えたとき、ネックになるのは、会場の使用料なんだというのが、パラドックスになって居るんです。さりとて、これに対して、「お役所」的理由が無ければ補助されないというのは、殆ど「お上」の言うことを聞いていれば良いんだ、と言う発想が根底に有るとしか思えません。オット、又力説してしまいそうになりました。
 話を先に進めましょう。国際友好協会との交渉は私たちの熱意が通じた結果ご支援を頂ける事になりました。私たち(東さん、清水さん、西田さん、浜田)はバスケットボールの選手が得点したときの様に、喜びました。あんなに大げさではないにしても。
 取りあえず、コンサートを開くにあたって、赤字を出さないと言うところまでこぎ着けました。後はコンサートの趣旨を多くの皆さんに理解して頂いてチケットを買って頂き、良い内容のコンサートが出来るかどうかが、問題になります。このところだけは、誰にも負けない自負を、それぞれが持っていましたのでそれ以後の動きはスムーズでした。浜田も弦楽四重奏、ピアノ、ヴィブラフォンという切望していた編成でコンサートが出来ることが確実になって、より一層編曲に熱が入りました。増して、尊敬するピアニストのフェビアン・レザ・パネさんが居るのですから、わくわくする気持ちは増幅されるばかりでした。チケットも予想していたより出足が好調で気持ちよく5月の後半にアブラミアン弦楽四重奏の来日を迎えることが出来ました。
 先ずは、ジェリーさん以外のメンバーとのご挨拶です。私たち音楽をやっているものは、言葉でのコミニュケーション以上に、楽器を通してのコミュニケーションでお互いの思って居ることを推し量ります。赤ん坊の様な英語を使って浜田は頑張りました。勿論込み入った時は、東さんの助けが無いとどうにもならないのですが、こちらの意図する音楽的な内容は彼らは実に良く理解してくれました。これぞ国際交流です。出来れば公開リハーサルをして、浜田のどうしようもない英語でも良い音楽を作る目的の為にはお互いの考えが通じるんだ、と言うことを多くの人に見てもらいたかったぐらいです。
 しかも、最初は、リハーサルから始まったのではなく、無謀にも、八潮西保育園のコンサートでの共演でした。私が一応デモテープを渡していて、簡単な打ち合わせと軽い音だしをしたのですが、それにしても、今考えると実に大胆な事をしたと思います。それだけ、私がジェリーさんに信頼を置いていたのか、ジェリさんが浜田の事を東さんから聞いて大丈夫と思ったのか、解りませんが、気持ちが高揚していた所為かコンサートは大成功でした。勿論保育園の子供達の為のプログラムを組んでいたので、きゅりあん用の演目からは1曲しか演奏しませんでしたので、何とかなったのかもしれません。
 今なら、絶対そんな事はしないだろうな、と思います。その後パネさんを交えたリハーサルをやって、待望のコンサート当日を迎える事になります。

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