音楽って何だろう その16 
 パナソニックマルチメディアセンターE音会コンサートが終わって、「やまぶき」でのクリスマスコンサートが終わって、なんだかあたふたしている内に、新しい年1998年を迎えました。私は早速「きゅりあん」E音会コンサートに向けて選曲、ステージ構成、それにまつわる編曲に取り掛かりました。
 富良野の風景(私にとっては心象風景でもあるんですが)をイメージした作曲集の第2段を1年以上前から創作していましたので、これを何とかハンドベルの演奏でステージに掛けたいという考えは前からもっていました。幸いにも前の年の秋に録音が終わって、スコアーも出来ていましたのでハンドベルを交えた演奏の編曲は直ぐ出来ました。パネさん藤本さんに出演していただく事も直ぐ決まりました。ハンドベルはプロのグループでも場所の移動とベルの準備に時間が掛かりますので、子供達の負担にならないよう、ベルが参加する曲を参加しない曲と“入れこ”になるようにプログラムも考えました。こういう企画や演出は実はもの凄く楽しい物でして、具体的なステージを思い浮かべながら、頭の中で曲を流しながら、ふと誰かの顔が目に浮かんだりして(誰それちゃんの緊張した顔、終わったときのホッとした顔、失敗したときの顔)、、、良い物です。
 さらに、パナソニックマルチメディアセンターE音会コンサートでの、ステージの後ろで映像を写す試みを、このコンサートでは富良野の風景を写せたら、、、何ともワクワクするではないですか。でも、これは、経費の問題、機材の問題、人手の問題、スライドの手配(オフィスフラノから借りなくてはなりません)等々の事を解決しなければならないので、暫く私の心の中にしまって置くことになるのですが、それを実現させるためには、どんなことでもしようと思いました。実際、制作して下さった西田さんに相談したら、思った通りの難色を示されましたが、私は一つ一つ解決策を考えていましたので、経費の問題以外はやる方向で動くことになりました。
 でも、この経費の問題というのが、実は何時も問題なのです。全体の経費が幾ら掛かって、(もしもの為に少し多めに見積もります)300人の定員のホールで入場料を幾らにすれば赤字にならないか、等々。E音会の皆はチケット売り頑張ってくれるだろうか。時期が悪くて売れなかったらどうしよう。こんな心配をしなくてはなりませんので企画や演出と違って私は一番嫌いな事です。(誰も好きな人は居ないと思いますが、ギャンブルが好きな人には向いているかも)
 ここで、この嫌な事を、何時も精力的に取り組んでくれるスーパーウーマンを紹介しなければなりません。むしろ、もっともっと早くに取り上げるべき人だったのですが、私はこのタイミングで皆さんに紹介するのが一番良いと考えました。それは、誰有ろう、E音会の代表責任者であられる、東仁美さんです。そしてもう一人後見人の清水まにさんです。この人達が居なかったら(本当に私は社会性が無いので)E音会は直ぐに活動停止になってしまった事でしょう。
 東さんとの出会いは、1995年八潮西保育園でした。東さんの三男と私の長男が同じクラスだったというのが、そもそもの始まりでした。(東さんにとっては災いの始まり?)色々積極的に動いているお母さんがいるな、と思って見ていたのですが、どうも家族でアメリカに行っていたらしくて、その所為でボランティアにも積極的で、活動的なのかな、ぐらいに思っていました。
 そのうち私が何者なのか解ったらしくて「クリスマスコンサート」をレストラン「やまぶき」でやりませんか、と言ってきました。どの程度私の事が解っているのか、そしてどんな内容のコンサートを望んでいるのか、増して、私はいわゆる素人衆の企画したコンサートであまり良い思いをしたことがなかったのでちょっと渋ったのですが、東さんの熱意と、そろそろ地元で演奏しても良いかなと思っていたので、引き受ける事にしました。半分は3歳以下の子供にも良い音楽を聴いてもらい、半分は大人の為にという企画で、しかもフェビアン・レザ・パネさんという素晴らしいピアニストの助けも得てそれはそれで、良いクリスマスコンサートが出来ました。続く 

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