音楽って何だろう その11 
 

 さて、地域センターフェスティバル(昨年)では、初めてのステージと言う事で、もう一つ大変な事が有りました。
 その日3曲演奏したのですが、2曲目、3曲目の準備をする時に、大混乱が起きてしまったのです。もともとハンドベルは予めピアノの鍵盤の様に置いて、それから演奏する曲の自分のパートのベルを取って行く、というのが基本です。私達はその事の徹底が不十分で、前の曲から次の曲に移る時、「ピアノの鍵盤の様に置く」事をせずに、ベルをそれぞれが勝手に取ってしまい、しかも、しかも、オクターブ関係で間違えて取ってしまった人が居た為に、「私のベルが無い!!!!!!!!」騒動が起きてしまったのです。折角練習して、しかも難しいパートなので、本番でも頑張るぞ、と思っていた子などは涙を流していたそうです。その気持ちはよーーーく分かります。一人で5本、6本のベルを担当すると、持ち替えの手順を考えて、その練習をしないと、なかなか上手く行きません。そして、それが出来る様になって、ヨーーシ!という意気込みは相当な物だった事でしょう。一生懸命準備しても、色々な事が起こって自分の思い通りの結果に成らない。これは、子供達の置かれている環境にも通じる話です。そうです。例の受験です。
 何処の国でも、受験はあるのですが、日本、韓国、中国はちょっとたまらない程の子供にとっての「地獄」になっています。この極東アジアの3国に共通しているバックボーンは、儒教的な空気感と、科挙(説明すると長いので、自分で調べて下さい)の伝統でしょう。今の歴史的認識では、科挙という苛酷な試験を経た官僚が、閉塞的、自己保身的政策と、汚職で国を滅ぼした原因の一つとされています。何処かの国とそっくりですね。そりゃそうです。東大入試、国家公務員上級試験、の流れは科挙そのものですから。今の状況は成るべくして成ったのです。人間は歴史から何も学んでいないのか、と言う感じですね。それに、振り回されるのは何時も大衆です。もっと言えば、日本的科挙をヒエラルキーとした状況に否応無しに直面している子供達は悲劇です。
 受験の印籠(例の水戸黄門の)を持つ中学、高校の先生に「この印籠が目に入らぬか!」と恫喝されれば親も子供も震え上がりますよね。古今東西、下っ端役人は善良な大衆を虐めるものですが、小権力を持っているからなんです。三戸黄門になったり、下っ端役人になったり、忙しいのですが、受験制度が先生に小権力を与えているのは確かです。勿論原則としてはそれぞれが、自分をしっかり見つめていれば、そんなものに振り回されずにいられるのですが、そうも言ってられない、という空気感に支配されています。その意味では、先生達も小権力を持たされて逆に可哀相ではあります。子供達と、人間としてつき合いたくても直ぐに受験という化け物が表れて台無しにしてしまうからです。
 私は決して、個人個人の先生達に文句を言うつもりは有りません。むしろ、制度とか社会的慣例とかの問題が先生と子供達の信頼関係を壊して行く事を見るにつけ気の毒に思っています。こんな制度さえ廃止すればかなりの問題が解決されると思われるからです。
 先生が子供達と、人間としてつき合いたくても直ぐに受験という化け物が表れて台無しにしてしまう、一番の例は、あの、例の、内申書、という怪獣です。子供達はなるべく怪獣に嫌われない様に気を使いますが、一度嫌われたと分かると、今度は子供達が怪獣に変身するという、凄いことが待ち受けて居ます。それはそうですよね。顔色伺って良い子でいようと思っていても、(子供がそんな事に気を配らなければいけない社会って何なんでしょう。)色んな原因で怪獣に嫌われたら少なくとも近未来は暗い物になってしまいますよね。そんな精神状態で、良い人間関係は作れるはずも無いです。
 そして、さらに、子供達は一発勝負の入学試験で身も心もボロボロにされてしまいます。かく言う私も入試を体験して来た一人ですから、子供達の気持ちは良く分かっているつもりです。何と、私は30歳近くなるまで、試験当日のイヤーーーーナ夢を見ました。例えば、筆記用具がどうしても無くて焦る自分、試験会場にどうやってもたどり着けない、ハッと目が覚めると(夢の中で)試験の終わる時刻だった、等等、情けない事に、こんな夢をいい加減な歳になるまで見ていました。
 もう少しすれば、こんな馬鹿な制度も無くなるだろう、と思っていたら、逆に益々酷くなる一方なので、本当に呆れ帰っている次第です。
 話を元に戻しますが、地域センターフェスティバルの混乱はこんな場面の混乱で良かったと思いました。その時大きなダメージを受けたとしても、何回でもやり直しがきくからです。実際この経験を糧にして、E音会が自主コンサートを11月29日に「パナソニック」のホールを貸して頂いておこなった時は、皆さん立派な演奏をしていました。曲間の移動も実にスムーズで「失敗は成功の母」という言葉が物凄くリアリティーを持っていました。
 そうなんです。この言葉が皆の心に響く様な制度でなければ、住み易い社会なんて作る事が出来ません。切り捨てるのか、少しでも機会を増やすのか。
 大体、この問題は受験に限らず、女性の職場での扱いの問題、仕事を持つ父母の子育ての問題、老後の不安の問題、、、、何だか根が同じ様な気がしてきました。
 まあ、考えてみれば、E音会もこんな現状に地域住民の立場から、少しでも色んなミゾを埋めて行きたいと思って発足したわけですから、「失敗は成功の母」という事が経験出来ただけでも良かったと思います。
 次回はその「パナソニック」でのコンサートのお話です。

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