音楽って何だろう その10

 E音会ハンドベルクラブが初めて人前で演奏する機会を迎えた地域センターフェスティバルでの発表のお話です。

 兎に角、前回でもお話した通り混沌とした状態が続く中で、手探りのまま本番を迎えてしまいました。

 当日、ハンドベルに取り組んでいた、西保育園イルカ組が先ず先陣を騎ってくれました。4、5才の子供達は揚がる事など全く無く、それぞれが出来る範囲で出来る事をやっていました。曲は唯一のレパートリーだった季節はずれの「七夕さま」でしたが、そんな事も何のその15人の子供達はそこでベルを振っているだけで十分説得力を持っていました。聴衆も殆どの人が「良くやったね」と言う気持ちで見てくれたと思います。

 それに、反してE音会ハンドベルクラブの面々は大人も子供も一様に舞い上がっている様に見えました。勿論良いアドレナリンと上手に付き合っている人、反対に悪いアドレナリンと格闘している人、状況は様々でしたが、確実に揚がっている人が半数は居たと思います。

 この差は何処から来るのでしょう。結論から言うと、“等身大で物事に向かっていない”と言う事だと思います。

 勿論、西保育園イルカ組もE音会ハンドベルクラブも練習を積んで来ています。そして、練習の過程でそれぞれが、それぞれなりの反省、認識を繰り返しながら、「出し物」として仕上がって来ているのは同じ事でしょう。

ところが、本番を前にして、E音会ハンドベルクラブの人達が一番思ったのは「間違えたら嫌だな」という気持ちだったと思います。良い音楽(ある意味では自分が納得すれば良いのですが、どんな芸術や芸事でも手間ひま掛けた方が良くなる事の方が多いのです。)を作る過程で、“間違う事”は勿論大きな障害になります。作曲の様に蓄積して行くものではなく、その場で1回限りの表現しか出来ないというのは精神的に追い詰められても不思議な事ではありません。要するに「間違えたら嫌だな」という気持ちがどんどん大きくなってしまうのです。

 練習の過程で間違いを正して繰り返して演奏する、という方法は現在の所、最初の段階としてはこれ以外無いと思います。そして練り上げて行く過程で客観的な判断(自分で表現して自分で鑑賞する。)が出来る様になって来ると、ある種の喜びや楽しみを感じられる様になって来ます。E音会ハンドベルクラブの人達も、ある程度そんな気分で練習していました。練習しながら「綺麗な音で上手く行った時は気分が良いよね。」「ベル(おもちゃの様な?)だけでもこんなに良い音楽になるんだね」という感想が聞かれたというのは、すでにその人が客観的な判断をしているという事です。この状態はベルを振る事や音楽を表現する事を十分楽しんでいると言う事です。そのまま人前で演奏する時も「綺麗な音でしょう。」「良い音楽でしょう」「皆さんもやってみませんか」てな気持ちで行ければ良いのですが、、、、、、、、、

ああ、それなのに、それなのに、どうして本番前に「間違えたら嫌だな」という気持ちが大きくなってしまうのでしょう。

 私は、こういう精神状態は過去から蓄積された経験が大きく作用していると思います。以前小さい時から誉められる事を動機付けに音楽をやって来た子供が長じてコンクールだけに血眼になってしまう実情をお話しましたが、多かれ少なかれこの影響はあるでしょう。

 小学校に入るや否や直ぐ点数の序列社会が待っています。(少なくとも9年は続くのですよね。多い人はいいかげんな歳になってもその社会にドップリ浸かっていますね。)点数は、励みとプレッシャーという両刃の剣だというのはもはや誰でも疑わないでしょう。そして多くの人がそれに振り回されて来ましたよね。その他にスポーツクラブは試合試合、音楽クラブはコンクールコンクール、、、何をやっても点数の序列社会しかありません。じいちゃん、ばあちゃん、の居ない家庭に帰っても親はそれを増幅するか、自分のやりたい事優先でほったらかしか、子供に「人間はそんな事で生きている訳じゃない!」と説得力を持って言って呉れる人が回りに居ない昨今です。否応無しにそれが価値あるものだと思ってしまうでしょう。

 今、極端に子供達が別れてしまってますよね。点数の序列社会でなんとか生きていこうと言う子達はスケジュールがびっしりです。自分で深く長く何かを考える時間などありません。まるで「余計な事を考えるな!」というシステムがきっちり出来上がっている様にしか見えません。逆に、点数の序列社会からはじき出されたか、自分から身を退いた子供達は、とんでもない“ナラズモノ”を演じています。“悪い事”は、こそこそやってこそ意味があったのに、当たり前の様にやっています。長年に渡る点数の序列社会がついにここまで極端な2極化の状況を作り上げてしまいました。これは決して突然出て来たものではなく、親から子へ親から子へと点数の序列社会が受け継がれ浸透した結果なのだと思います。なにしろ価値基準が狭ければ狭いほど社会は荒廃するものです。

 と、ここまで極端じゃないにしろ、こういうバックボーンを抱えていると、さあ本番というと、「上手にやらなくちゃ」「間違いたく無い」という気持ちが先に立ってしまうのは、仕方の無いことなんでしょう。ロックバンドをやっている子達のなかに「俺らはこうなんだ!何か文句あるか!」という気持ちと面構えの子達がいます。これも問題はありますが、点数の序列社会の呪縛から逃れられて一瞬ではありますが幸せそうです。勿論、閉鎖系の悲劇を抱えていますが、少し参考になりますね。

 その11に続きます。

次へ              ホームページへ