アメリカツアー面白話 32
 Japanese American National Museumでの常設展示の「アメリカにおける日本人移民の歴史」の続きです。展示の内容を解説しています。(その2)

第二次世界大戦(太平洋戦争)での日系人強制収容所の解説

忠誠登録 強制収容所内では、日本国籍を保持する日本人移民のみならず、アメリカ国籍を持つアメリカ国民である日系アメリカ人収容者に対しても数度に渡りアメリカ政府に対する忠誠心の調査が行われ、その結果は登録された。特に、1943年1月に陸軍内に強制収容所の収容者を中心とした日系アメリカ人部隊を編成するために、18歳以上の日系アメリカ人男性に対して強制収容所内で行われた「出所許可申請書」における日本政府とその元首である天皇に対する不忠誠と、アメリカ政府と軍に対する忠誠を問う質問とその答えは、日本生まれで日本国籍を持つ「1世」と、アメリカ生まれでアメリカ国籍を持つ「2世」の間における断絶をはっきりしたものにし、その後の強制収容所における闘争を加速させることになった。

暴動 僻地にある粗末な強制収容所に収容され、行動や表現の自由だけでなく、仕事も社会的地位も奪われた日系人の不満は鬱積し、強制収容所内ではハンガーストライキや暴動が多発した上、盗難や殺人などの犯罪も数多く起きた。また、強制収容所での生活に嫌気がさし、脱出しようとし射殺されてしまった者もいた。

財産放棄 着の身着のままで収容される日系アメリカ人上記のように、準備期間すら満足に与えられなかった上、わずかな手荷物だけしか手にすることを許されず、着の身着のままで強制収容所に収容された日系アメリカ人及び日本人移民は、強制収容時に家や会社、土地や車などの資産を安値で買い叩かれただけではなく、中にはそのまま放棄せざるを得なかった者も沢山いた。しかもその後長年に渡り強制収用時に手放した財産や社会的地位に対する何の補償も得られず、その結果全ての財産をこの強制収容によって失ってしまった人もいた。なお、大統領行政令9066号の発令に伴うこの様な措置に対してフランシス・ビドル司法長官は「西海岸の反日感情に迎合し日系人の所有する農地を手に入れようとする利益誘導が絡んでいる」と強く批判している。

財産保全 強制収用の開始に際しアメリカ政府は、「申し出があった場合に限り、収容される日系アメリカ人及び日本人移民の財産の保全を政府管理の下で行う」旨の通告を行ったが、申し出を行う時間的余裕さえ十分に与えられていなかった上に、強制収用という差別的かつ過酷な仕打ちを行うアメリカ政府を信用して財産保全の申し出を行うものは殆どいなかった。申し出た場合でもそれらは実際には記録されず、保全の申し出自体が否定されるケースも相次いだ。また、政府に対する財産保全の申し出を行わなかったものの、日系人以外の知人に、強制収容所に収容されている間に資産を管理、保全してもらうことに成功した者もいたが、当時の反日的な風潮から、その様なことに成功したのはほんのわずかであった。

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