アメリカツアー面白話 2

 そもそも何故私がこの様なグループに参加してかくも長きアメリカツアーにはせ参じたのか、と言う経緯をちょっとお話ししておきましょう。
 今から5年前(2000年)ケニー遠藤さんから電話をいただき彼の音楽生活25周年記念コンサートを箱崎にある「日本橋劇場」で行うので是非参加してほしいとの依頼を受けました。自分は和太鼓を演奏していて、「浜田さんのジャンルを超えた活躍を聞いて是非一緒に演奏したいと思う」との事なので、何でもやってみたい浜田は二つ返事でお受けしました。コンサートは6月の下旬に行われ、CDも作って(「十五夜」というタイトルです)その年の10月にはハワイにもコンサートで呼んでいただきました。ご一緒してみて分かったのは、彼の作ろうとしていた音楽は、和太鼓を現代の音楽の中で活躍させたい、また日本の伝統的な音楽の色々な要素もその中に取り入れたい、というものでした。そして全ての曲はケニーさんの作曲です。私の印象としては、それまでジャズやロックの音楽に和太鼓を取り入れてるものは沢山お目にかかってきたが、彼の目指している音楽はむしろ和太鼓の演奏や日本の伝統音楽が先に有ってそれに西洋の音楽がどう関われるか、を目指しているように思えました。西洋音楽が基本にあるのではなく、むしろ日本的な音楽が土台になって、そこで私がこれまで培ってきた音楽をどうやって入れ込んで成立させるか、がテーマなのだと思いました。ある意味こういう方式の方が自分の音楽的な力量が問われる、と思いました。リハーサルを重ねるうちにそれがわかってきたので相当下準備もして、本番では皆さんが「ああいう音楽の中で浜田さんの音楽がちゃんと成立しているのは素晴しい。」と賞賛していただきました。ケニーさんも私との競演で得たものがあったようでたいそう喜んでくださいました。
 ケニーさんはそもそも最初から和太鼓をやったわけではなく、最初に手にした楽器はドラムセットだったようです。1953年(私と同じ年です)ロスアンジェルスに生まれて、上にお姉さんが3人いる末っ子で早くにお父さんをなくしたようです。ドラムセットでバンド活動をしながらUCLAに進学して政治学を専攻、同時にそのとき大学に有った和太鼓グループに参加したのがこの道に進むきっかけになったようです。そもそも、和太鼓というのは古く(2000年近い歴史があるそうです)は神社の神事のときに鳴らしたり、お祭りなどの踊りのお囃子に使われていたものを、太平洋戦争が終わったころから、諏訪太鼓(見せる太鼓)や組太鼓(グループで演奏)が出てきて変化します。続く

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